もうすぐ21世紀です。80日をきったぐらいでしたっけ?
小さい頃、21世紀なんて自分が生きてるなんて思ってもみなかった。
でも考えてみれば、22歳。
人生始まったばかりなんッスよね。(笑)

祖父が亡くなったのはもう2年も前のことです。
祖父は私が大学を卒業するのも見届けず、
弟がどこの大学に合格したのかも、
私がどんな仕事についたのかも知ることなく、亡くなりました。
もちろん、21世紀がどんな世界なのかも
祖父は知ることがありません。

大正生まれの祖父が生きた昭和と言う時代は
激動の時代でした。
「お国のために」ホントに命をかける時代だったのです。
目の前で戦友が撃たれた事もあったそうです。
戦後も、複雑な家庭環境から
すべてを背負って生きてきた祖父。
私が知っているのは晩年の、
いつも居眠りばっかりしている、
そして、たくさんのひとから「先生」と慕われていた
そういう姿だけです。
ゆるぎない大黒柱だった。
けれど、今は肉体はなく、写真の中でしか存在していません。
こうして、祖父との想い出がたくさんある私が
いつかこの世から消えていった時に、
祖父が生きた証は、いったいどこへ行ってしまうのかと思えば、
なんだか切なくて眠れないことがあります。

地球はもう何万年、何億年も前から存在し、
人間も長い長い年月をかけて進化したことを
私たちは知識として知っています。
けれど残念ながら実感は出来ません。
私が生きているのは、地球の歴史からしてみれば、
取るに足らないほんの一瞬のものなのかもしれません。
なんて、人の人生なんてはかないものなんでしょうね。

祖父が生きた意味はなんだったのでしょうか?
数々の苦労を背負うためだけだったとしたら、
それはあまりにも悲しすぎます。
祖母は言いました。
「晩年は穏やかに暮らせた。」と。
最後はシアワセであったと、私は信じたいです。
そうでなければ、私も生きていく自信がなくなります。
生きていく意味がわからなくなります。

「人間は必ず死にます。」
以前見に行った地球ゴージャスの「さくらのうた」のプログラムで
寺脇康文さんはこう言ってます。
「どうせ死ぬんだから、楽しく生きよう。」と。
そんな風に思えれば良いですね。
でも、私はいつかくる「死」に恐怖を抱いて、
それを信じていません。
きっと80ぐらいまで生きられるって、心のどこかで思い、
それは永遠ぐらい先の事だと思ってます。

なんだか、考えれば考えるほどわからなくなってきてしまいました。
すぐに答えの出るような問題でもないですもんね。

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